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本当に言葉の通りミミズ文字なのでネイティブに「きったな!!」とか言われそうです。
アラビア語自主勉二日目の今日。そうだ、オマーンに行こう。
古本屋で遊戯王原作立ち読みしてきたんだけど
ダークネクロフィアの美しさにもだもだした。オカルトデッキ万歳。
あと社長の「俺は神を生贄に!嫁青眼の白龍を召喚する!」に愛を感じた。嫁への愛を貫く社長素敵です。
マリクにスッ転びそうになったがすんでのところで立ちどまった。そんなバトルシティ編。
それもこれも台風(半分通り過ぎてた)のやつのせいで学祭が一日おじゃんになったからだよちくしょー。
明日は開催だぜ。皆焼き鳥買ってくれ。
って皆知ってるか。知ってるね。
「パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記」
書いた人:田丸公美子
あらすじ:結構そのまんま。タイトルの意味は「パンと愛」。
面白かった!!!やー面白かった。通訳を職業としてる方の著書を読んだのはこれが初めてだな。
面白いのはイタリア語の陽気さのなせるわざかご本人のおもろさか。どっちもだ。
通訳、という言葉を聞いたときにイコール超語学に長けてる天才さんっていう数式が有ると思うんですけど
そんなのがひっくり返される面白さ。なんだこのてきとー具合は!んで締めるとこはしっかり締めるんだからたまらん!!
この方フリーランスで通訳をやっているだけあって自分のスタイルが確立してて、カッコイイ。んで通訳ってイケメンを間近で見れたりついでにご飯食べられたりするから役得、とちゃっかりおいしいとこを頂いちゃうこずるい女子っぽさもおありになる。で、「言葉の職人」を自認するだけあってたいへん博識でおしゃれな言葉の使い方をなさる。通訳?しかもイタリア語?難しそう…って方にはぜひ読んでいただきたい。読んでて何回噴きだしたかわからん。イタリア人のマンマ好きは本当だった。マリア様的な。あれ?じゃあにょギルって絶対イタちゃん惚れそうってそういう話はいいですよね
一番印象に残ったのは元ベネトン社アートディレクターのオリヴィエーロ・トスカーニ氏についての話かな。人間的にもすっげ知りたい!と思った人。「外国語を話せるかどうかは問題じゃない、大事なのは話すに足る内容を持っているかどうか」という言葉は身につまされる…切に…
「語学に愛は不可欠」。そのとーりだ。幸い私は世界中に大好きなものがある、イタリアでパスタ踊り食いたいし一回ナンパされたいし、ドイツには懲りてないし、シベリア鉄道乗りたいし、クルド人とも会いたいし、トルコでちやほやされたいし、キブツで働いてみたい。色んな国の人とその国の言葉で喋りたい!大切なのはきっとそれだ。伝えられないもどかしさを感じるのはもうやだなんで、これからもずっと言語の勉強を続けたい。言語が好きってことは俺の売りになる!と、再確認したのでした。
あと、本読んでる数は友達たちの中では負けないようにしたいな(笑
を信じる人なら仲良くなれるの?
じゃあちがうかみさまを信じる人とは仲良くなれないの?
引き続き読書感想文。図書館で借りた本ってデータに入ってると思ったらそうでもないんだ…ちょっとショック…
「はじまりのキリスト教」
書いた人:佐藤 研
あらすじ:キリスト教のアイデンティティをもとめて新約聖書のなかの死生観、浸礼=バプテスマ、預言、ヤコブの手紙、イエスの呪いなんかをテーマに論を進める。はじまりのキリスト教にはユダヤ教の遵法の考えとユダヤ教ユダヤ人への縁切りにも等しい断絶が見られる。「イエス派ユダヤ教」から「キリスト教」へのはじまりの道。
これも図書館で借りた本。10月の新刊だぜイェイ。
表紙が大変綺麗な本です。コリント(多分ギリシャかな)のアポロン神殿の写真だそうな。表紙一目ぼれしたのは「アラブ 祈りの中の文学」以来だな。サーセン本の名前がうろ覚えだ。
宗教のはじまりとか成りたちに今まで触ってみたのはイスラム教ユダヤ教くらいだったので、四苦八苦しながらの読み込みでした。この著者さんは新約聖書の記述を批判的に考察してる学者さんらしい。
多分この人だからこそ取り上げた記述なんだろうけど、ヤコブの手紙の記述が一番おもしろかった。ヤコブさんの書いてることは宗教関係ねぇ!とか言われてるけどそうじゃない!とおっしゃっておられて、おれも後者に同意だった。簡単に言うと現世での利潤追求に精いっぱいになって下々に目を向けない、そんな自分を神学的に肯定する奴ら何やっとんじゃいとヤコブさんが言っている。え?ヤコブさんだよね?一回新約聖書(中学の前で配ってた奴)読んでみようとしたんだけどなんか最初に家系図みたいの文章で延々書かれてて断念した。また挑戦してみようかなー。
キリスト教がユダヤ教から別れた宗教だってのは有名だけど(でも三大宗教が全部同じ神様信仰してるってのは知らない人もいるらしいね)、聖書の記述の中でイエスが弟子に「ラビ」って呼ばれてたのにびっくらした。てことはなにか、ラビ(ユダヤ教における祭司)と呼ばれてるってことは、イエスは今の改革派ラビみたいなもんだったってことか。びっくらした。
あともう一つびっくりしたのはイチジク枯れろ!な話がイスラエルと結びついているという話…イチジク=イスラエルとして、かつて同じ宗教だったユダヤ教ユダヤ人への呪いのように。怖いなーとおもた。そうやって元の出所を突き放さんと自分らの宗教を確立できんかったんかなあ。あとイエスを処刑したのが実行犯は総督ピラトゥスさんのはずなんだけどローマ人であるピラトゥスを必死で擁護して民衆=ユダヤ人のせいにしてしもてるのにあー…みたいな…所詮後世の記述だものね、都合のいいように書くよね。そりゃそうだよね。でもイエスもユダヤ人だよね。それはバプテスマを経て洗われたのかなあ。ああああ。
こんな風にいろんな本を読んで新しいことを考えるのが すきです
拍手ぱちぱちありがとうございまーす!
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